文系と理系の共通点と違い~学問の在り方と選択の考え方~

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学問のあり方から、文系理系と性格、考え方、職業との関連について考える

私は工学部卒で理系なわけですが、最近は文系の勉強にもハマっていて、心理学・社会学・法学の図書に触れることが増えてきました。
その中で、文系と理系の共通点と違いが見えてきたので、まとめてみることにしました。

文理の選択に悩んでいる人、文転したい人、理転したい人の参考に少しでもなれればと思います。

文系も理系も学問である

まず、当たり前だけど、おそらく多くの人が気づいていないであろう事実として
「文系も理系も学問である」
ということが挙げられます。

学問とは何か

Wikipediaによると学問とは、以下のように説明されるようです。

学問(がくもん)とは、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法であり、哲学や歴史学、心理学や言語学などの人文科学、政治学や法律学などの社会科学、物理学や化学などの自然科学などの総称。英語ではscience(s)であり、science(s)は普通、科学と訳す。なお、学問の専門家を一般に「学者」と呼ぶ。研究者、科学者と呼ばれる場合もある。

出典:Wikipedia 学問

学問を志し、大学へ行くということは、「一定の理論に基づいて体系化された知識と方法」を学びに行くということになります。ここに文系と理系の区別はありません。

また、個人的に学問について思うこととしては
「学問を究めることは、人間の行う活動について深く追及し、究める行為」
と思っています。
人間の行う活動というのは「生まれてから死ぬまでのすべての活動」が含まれます。例えば、作りたいものを作るというのが工学ですし、宇宙の果てについて考えるのは理学(地学)ですし、人間の生命活動そのものを全て総括して学ぶのは医学です。
他、人間の行う活動を究めたらどんな学問になるのか、をまとめてみます。

・睡眠/食事/性交/運動など生命活動全般→医学、生命工学
・法人の設立とビジネス→経済学
・コミュニケーション(交渉、恋愛など)→心理学と言語学
・離婚裁判→法学
・絵画/写真/彫刻/音楽→芸術
・畜産/農業→農学
・機械の稼働およびそれに基づくモノづくり→工学

などなど・・・

現代の世の中において、人間の行うことは全て学問として体系化されている(これまでの人類の歴史で先人が体系化してきた)といっても良いと思います。

では、「働く」とか「仕事」というのは、一体何でしょうか、それと学問と何の関係があるのでしょうか?
人間は、社会的動物と呼ばれるように、法人と呼ばれる集団を作り、その集団が集団(BtoB)や個人(BtoC)あるいは政府(BtoG)に対して価値を与える。
これがビジネス活動であり、一般に言われる会社とサラリーマンの活動です。
経営者とサラリーマンだけでなく、個人事業主や投資家も何かしらの形で誰かに対して価値を与えています。

ここで、学問を志すにあたって考えなければならないのが

自分は何をして人に価値を与えるか?

という命題です。

私は「身の回りの現象を論理的に理解し、それを操ることにより、欲しいものを欲しいままに作る手段を提案する仕事」をしています。これを行うのに工学が必要になってきます。
他の人は「人間の思うこと、考えることを論理的に理解し、人の話を聞くことで、その人がよりよく生きるための方法を提案する仕事」をしている人もいます。これは心理学を究めたカウンセラーさん、ソーシャルワーカーさんの仕事です。
「人間の生命活動を論理的に理解し、これまでの人間が開発してきた薬との関係も論理的に理解し、薬物による治療を円滑に行えるようにする仕事」は薬剤師さんの仕事です。

つまり、学問は「人が人に価値を与えるための方法論」と言えるのです。それを学びに行くところが大学であり、決してモラトリアムの4年間ではないことに注意してください。

文理の違い①:参入障壁と卒業の容易さ、就職

ここから、文理の違いと同じところ(=同一性)を説明していきます。

参入障壁

参入障壁、すなわち、大学への入りやすさで言えば、理系の方が障壁が高いといえます。これは決して文系の勉強が簡単というわけではなく、現代の日本の教育構造が関係しているのです。

文系と言えば国語・社会、理系と言えば理科と数学なのですが、
国語と社会の勉強は、学習順序は順不同で、20歳を過ぎて突然、浦島太郎について知りたいと思えば、私のような素人でも調査して、資料を作成することが可能です。

しかし、数学や理科の勉強は学習順序を守らないと、学習を進めることができません。足し算や分数ができない人に積分を習得させることは不可能です。
その学習順序というのは6歳から始まっており、例えば8歳における1年間だけでも算数から離れれば、以後、算数や数学を理解することが難しくなってしまいます。
子どもが勉強から離れてしまう要因は、その子どもが親の言うことを聞かず、遊んでばかりだったという、個人の要因もあれば、両親の不仲やいじめなど、環境の要因もあります。
それに対して、6~15歳の義務教育期間のカリキュラムは決まっているので、子ども個人個人の事情など気にせず、冷酷に進んでいきます。

こういった事情から、参入障壁は理系の方が高いと言えると思います。

卒業の容易さ

卒業の容易さ、すなわち大学における単位の取りやすさも理系の方が難しいと言えます。
これは、文系の単位認定の基準を明確にできないという文系の学問構造から由来するものです。

大学という法人が学生を受け入れて卒業させるというビジネスをしなければいけないということと、研究者(=教授)から見て不学の者と付き合っていられないという考え方があり、単位を与えがちになってしまいます。ここは文理共通です。
文系の場合、ここに「単位認定の基準を明確にできないという事情」がプラスされ、その結果として

「文系の方がラクに卒業できる」

という偏見が出来上がってしまっていると思うのです。

理系は比較的単位認定の基準を明確にすることができるので、それに満たない者は卒業させることができず、

「理系の方が卒業が難しい」

という、これもまた偏見が出来上がっています。

だからといって、理系は全員しっかりと学問を修めているかと言えばそうでもなく、「単位の取り方」を修めている人が一定数存在することに留意する必要があります。

私も一部の理論について理解できず、丸暗記で単位を取得したことがあり、そのままになっている部分もあれば、研究開発活動で必要性を感じて個人的に再学習して理解を深めた部分もあります。

就職活動

「就職活動は理系の方が有利」
という偏見がありますが、これは
「文系は職業選択の範囲が広すぎるため、就職活動が大変」
という真理の裏返しになります。

理系は工学部で化学を学べば、化学メーカーで生産管理あるいはR&Dという、ある程度の流れができておりますが、

文系が例えば法学を学んだとして、会社の法務に就くという流れを考えたときに、

どんな会社の法務に就くのか?

を考えなければなりません。それはメーカーでもいいですし、エンターテインメント産業でもいいのです。
どこにでも行くことができるからこそ、志望動機を深く追及され、そこに論理性と具体性がなければ「ウチでなくてもいいのでは?」と返されてしまいます。

従って、文系の方がより
「自分はどうやって人に価値を与えるか?」
という視点を強く持たなければいけない、
と言えそうです。

文理の違い②:普遍性と特殊性

Weblioによると

普遍:多くの事例に共通して見られるさま
特殊:ある事例に際立って見られるさま
出典:Weblio

という言葉の説明がありますが、理系は普遍性を追求するのに対し、文系は特殊性を追求する性質があると思います。

例えば、「水の中でインクが広がる現象」と「鉄板を熱したときに鉄板が温まっていく現象」は同じ「拡散方程式」で表現できます。
Aという自然現象について理解した、その知識を使ってBという知識を理解しようとし、同じところは何か?違うところは何か?を考え、同じところを見つけて「アナロジー」と呼んで喜ぶのが理系の集団です。

文系の場合は、特に法学にはその性質が強いと思いますが、数多の裁判事例を学び、それを分類・体系化していきます。そして、新しい事例があれば、過去の事例を参照していき、ライブラリに残します。

この構造は先ほど申した学問を学ぶ順序が順不同かそうでないかに関係しています。
理系の場合、学問を学ぶ順序は決まっているので、それの通りにしっかりと学習を進めていけば、あらゆる事例に対応できます。
だから私は専門が化学であるにも関わらず、「有機化学や無機化学よりも機械工学に興味を持ったので、ナビエストークス方程式を導出したり、バネダッシュポット系の運動方程式をVBAで解いてみよう」という意欲が沸くのです。

 

文系の場合は、そうはいかないのではないか、と思います。学問を学ぶ順序が順不同ゆえ、どこからでも手を付けることができるので、どこから手をつければいいのかわからない。何を持って学修したかよく分らない。という不安、といいますか、葛藤にぶつかるのではないかと思います(真剣に学問を修めるのであれば)。

そういった意味で、学校を卒業することとは分けて考えて「文系の学問を修める」というのは非常に難しいのではないかと思います。

文理の違いを図にしてみた

以上の考え方から、文理の違いを図に起こしてみました。
理系としての人生を歩もうとしたとき、このような階段を登るような形になります。

ここで注意したいのが各大学ごとに卒業OKの高さが異なるという点です。私は学卒および卒業修了大学名は星の数ほどある人間の評価の一項目にすぎない。と考えておりますが、
「学問を修める人間としての立場」に立てば話は変わります。「難関国公立大学や早慶理科大MARCH、関関同立」と「その辺にベタベタ広告を貼って教育よりもビジネスを優先する大学」を一緒にされるのは心外であることは本音ですし、似た論文があれば、大学ランキングの高い大学の先生や学生の書いた論文を優先して引用します。
野球が好きな人にとって「各地域のメジャー球団と草野球を一緒にするな」という感覚に近いと思います。

一方、文系としての人生を歩むなら、このような形になるのではないかと想像します。膨大なライブラリの中から、ある特定の部分だけ学習し、文書としてまとめることで単位を取得すると思います。

ここでも、どれだけの量を学習すればよいのか、というのが大学によって変わってくるものだと思います。おそらく文系の方の中にも「学問を修める人間としての立場」としての私の考えと同じ考えを持っている方は多いと思います。

つまり、文理問わず「学問を修める人間」としての東大生や東大卒業生は尊敬しますが、「人間」としての東大生や東大卒業生を尊敬するかどうかは別問題ということです。

また、優秀のラインというのは年齢とともに変化していきます。当然、年齢が上がれば上がるほど、優秀のラインは上がっていきます。生まれてから現在まで勉強する時間が長いわけですので。

文理の同一性:論理的思考力が重要

ここまで、文系と理系の違いについてお話してきましたが、ここから文系と理系の共通点についてお話したいと思います。

分析力(分割と構造化)

文系でも理系でも必要な能力が分析力で、これが論理的思考力に直結します。「観察した現象に対し、その現象は何によって構成され、現象を構成する要素がどのように絡んでいるのかを考える力」です。私はこの力を「分割と構造化の能力」と呼んでいます。

例えば理系の場合、ある反応器から出てきた製品の収率が予想以上に悪かったとき、反応器内で原料がちゃんと混ざっていないのではないか、と考え、反応器内の流れについて考えようとします。このとき、

反応器内の流れがイマイチだから収率がイマイチ

という考えでは何も生まれません。以下のように構造化し、

浮力対流を大きく見積もりすぎたのでは・・・それなら反応器内の温度分布を確認しましょう。
理論上では○○rpm+邪魔板n枚でデッドスペースを消せると思ったんだけど・・・それなら原料の物性推算を見直したり、測定しなおしを行いましょう。

と議論を進めなければいけません。

文系の場合、心理学として、過度の一般化は生きづらさを生むという考えで、不安感を整理して考えるということを下記資料にて説明しています。

不安を分析する能力がなければ、ただの不安として残り続け、生きづらさを感じますが、不安を分析・分割・仕分けすることができれば、自分は何ができるのかが見えてきて、不安の解消、すなわち解決につながります。

解決力と創造力

東進の林修先生が「社会人に必要な能力」として「解決力」と「創造力」の2項目を挙げておりましたが、この「解決と創造」には「分割と構造化の能力」が必要になってくると思います。

私たちの直面する課題というのは、たくさんの要素が混じった状態で与えられます。その課題を解決するために自分の修めた学問を利用して、いかに「分割と構造化」を行えるか、それさえできてしまえば、あとはルーチンワークに落とし込むことができます。

新卒のうちは知識量が少ないので「ルーチンワークに落としこまれ済みの仕事」が与えられると思いますが、学卒の場合、徐々に「ルーチンワーク化する仕事」に変化していきます。この変化に対応するために「分割と構造化」を行い、「解決と創造」に導いていく。
これが私の考える仕事の理想像です。

※理想ということは、これを現実にすることができるかどうか?は別問題で、ここが「社会の厳しさ」なのでは、と思います。

まとめ

以上、「文系理系の違い」について「学問」という観点から、私個人の現在の考え方をまとめました。文系も理系も「人に価値を与える」ことにつながる勉強するということには変わりありません。

その中で、どうやって価値を与えるか?を考えたときに、

「階段を登っていく学び方」がいいのか、
「大きな池から一定量の水を汲んでくる学び方」がいいのか、

どっちが得意でどっちが苦手なのか、どっちが好きでどっちが嫌いなのか。

得手不得手はその人の個性であり、どっちが好きなのかを考えるのは学問を修める本人であり、その選択に対してどう振舞うのかも本人です。そもそも「学問を修めず、その期間に大型Ⅱ種免許を取り、運転技能を磨く」という選択肢も立派な選択肢です。

文系と理系、どっちが優れていてどっちが劣っているのか、どっちが人生に有利で人生に不利なのかといった一般論は存在しません。

これから文理選択する人や、すでに選択した人で道に迷いそうな人は、

どっちが好きでどっちが嫌いなのか。

で決めればよいと思います。何事も好きなことは一生懸命できますし、一生懸命にやれば、そこに注目し、引き伸ばそうとしてくれる人は存在します。そんな素敵な「師」に出会うことができれば、人生は楽しくなると思います。

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