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あいさつ上手はコミュニケーション上手
社会人含め、どこかの組織に属していれば毎日のようにするであろう「あいさつ」ですが、
あいさつには、人と人とのコミュニケーションを円滑にさせるのに非常に重要な役割があります。
「あいさつをしましょう」「あいさつは大切です」と子どもの頃から言われていて、大人になっても色々な人から言われると思いますし、そのように指導する方もいらっしゃるでしょう。
今回の記事では、
あいさつをするということはどういうことかについて心理学的観点から説明したのち、そこから導き出される、あいさつがもたらす対人関係への効果についてまとめてみたいと思います。そして、苦手な人やあいさつを返さない人にはどう向き合うか?についてもまとめました。
申し遅れました。
明けましておめでとうございます。本年も「らい・ぶらり」をよろしくお願い致します。
あいさつをするとはどういうことか~心理学的観点から考える~
あいさつは人の存在を認める行為
「あいさつをしなさい」と言われているから、あるいは「みんながあいさつするから」という理由であいさつをしている方も多いと思いますが、
ここで一回「そもそもなぜあいさつが必要なのか?」について考えてみませんか?そしたら、もっと心を込めてあいさつできるようになると思います。
ディープルは・・・どうして、あいさつをするのか考えたことあるか?
どうしてって・・・みんなが「あいさつしなさい」っていうから・・・。
そっか。まぁ、オマエはちゃんとあいさつしているから、それでいいんだけどさ、
あいさつする意味っていうのを、考えた上であいさつしたほうが、気持ちのこもった挨拶ができるから、より好印象になるかもな。
あいさつする・・・意味?
あぁ。挨拶って言うのはな、挨拶する相手の存在を認める行為なんだ。
私は確かにここにいます。あなたも確かにここにいますね。今、この瞬間お互いに顔を合わせることが出来てよかったですね。
という意味が込められていると思うたいね。
・・・・?
イマイチ、ピンとこないか?じゃあ、逆にあいさつされなかったらどんな気分になる?
その人に嫌われているのかな・・・って思っちゃう。
その考え方は、あながち間違いではないたいね。
心理学的から考えた、「人間の好き嫌いの段階」っていう観点で見ればな。
人間の好き嫌いの段階
この人は好き、あの人は嫌い、とそれぞれの人がそれぞれの人に対して考えたり、感じたりすると思いますが、人間の好き嫌いの感情は
愛してる>大好き>好き>普通>嫌い>>無関心
にカテゴリー分けされます。ここで注目したいのは、愛してるや好きの対極にあるのが「嫌い」ではなく「無関心」なのです。
あいさつされなかったり、あいさつを返してもらったりしなかったら、おいも辛い気持ちになるたい。
あいさつをしない、あいさつを返さないということは「あなたに関心がありません」「私にとってあなたは関係のない人間です」と言っているようなもんだ。
まさに、さっき言った、存在を認める行為の対極に位置するやろ?
うん。そうだね。あいさつされないと、あたかも自分が「存在しない」かのように取り扱われている気がしてしまうね。
自分の居場所が潰されているような気がしてしまうかも・・・そんなふうになってしまったら、その人と関わりたくないと思っちゃうよ。
せやろ?あいさつしないっていうのはそういうことなんだぜ。
「私はあなたに関心がありません」「私はあなたが存在しないものと考えております」と意志表示しているようなもんだ。
そんな人間からはどんどん人が離れていくよな。
さっき、ストークが言っていた、「あいさつは相手の存在を認める行為」の意味が分かった気がする。
そうか。それからな、あいさつをすることによって、相手から見た自分に対する壁を取り払うことができるんだ。
あいさつがもたらす良好な対人関係
元気よくあいさつをしてくる人って、なんだか話しかけやすいと思いませんか?このことは「挨拶は相手の存在を認める行為である」ということと繋がってきます。
私は確かにここにいます。あなたも確かにここにいますね。今、この瞬間お互いに顔を合わせることが出来てよかったですね。
こんなこと、毎日のよう口にされたらめんどくさいと思いますが、言われて嬉しくなる言葉であることは確かです。
めんどくさいから一言の挨拶にこの意味を凝縮させていると考えます。
「自分が存在すること」を認めてくれた相手なら、話しかけやすいですよね。
あいさつって言うのは、アイスブレーキングの一つと考えるんや。
お互いに凍り付いて出来上がっている心の壁を、笑顔の挨拶によって一瞬で融かして取り去ってしまう。
そういう意味でもあいさつは大切たい。
なるほど。確かに上司部下先輩後輩関係なく、笑顔で挨拶してくれる人って話しかけやすいよね。
話しかけやすいというのは、コミュニケーションが円滑に進みやすいっていうことだよな。
仕事もそうだが、組織に属して何かをすると言うのはコミュニケーションが必須になってくる。
それだったら、話しかけやすい人と一緒に仕事がしたいよな。このことはその人個人のスキルよりも重要やと思うたいね。
そうだね。「笑顔で挨拶してくれる=あなたはここにいていいんですよ。私とお話していいんですよという意思表示」って考えれば、挨拶をしない人よりもする人と話をしたいと思うよね。
そして、話がしたいということは一緒に仕事がしたいということに繋がってくるんだ。
せや。そういう流れを経て、一般論で言われよる
「挨拶をする人は信頼される」という結論に至ると思うたいね。
・・・・。
どうした?
でも、僕、あいさつできないことがあるんだ。
苦手な人にもあいさつしよう
苦手な人にはあいさつできないという心理
苦手な人には、どうしてもあいさつが出来ないんだ。出来たとしても、目を逸らしてしまうんだ・・・。
そっか・・・。苦手な人って具体的にどういう?
露骨に人格を否定する人、何を言ってもバカにしてくる人。
以前、「お疲れ様です」って挨拶したら、「普通、お疲れ様ですなんか挨拶するかよ。バカじゃねぇの?」って言われて傷ついたこともあるし、
「おはようございます」って挨拶しても鼻で笑ってくる人もいて傷ついたこともあるし・・・。
え!!?なんだよソイツ!それは前の職場でのできごとか!?
・・・うん。
そりゃよかった。今、俺とオマエは本社で働いていて、その本社内でそんな雰囲気のある部署がもしあったらめんどくせえなと思うてな。
そういうヤツは、そういうヤツだと割り切って挨拶すればいいと思うぜ。
え・・・。だって、挨拶して返されなかったり、ましてやバカにされたり笑われたりしたら嫌だよ。
嫌な気持ちはわかる。だから、そういうヤツだって割り切っちゃうんだ。
この人は挨拶をしたときに人を小馬鹿にする寂しい人であるということを承知したうえで挨拶をするんだ。
・・・・やっぱりできないよ。
できないのはな、ソイツを意識しているからできないんだ。意識しているからこそ反応を見て傷つく。
だから、ソイツはロボットだと思ってしまえばいい。挨拶しても返さない、挨拶したら人を小馬鹿にするロボットだって思えば、
「あ、そういうプログラミングがされているんだから、そういう返り値が来るのは普通だよね。」って思えるようになる。
相手がこちらに対して無関心、ましてや挨拶一つで攻撃してくるような人間には、こちらからも無関心でいいんだ。形だけのあいさつをすればいい。
やっぱり、あいさつしないと・・・・ダメ?
ダメだ。これは相手の立場とそれを取り囲む第三者の立場に立って考えりゃわかるはずだ。
まず、相手の立場に立った場合。人を小馬鹿にしたり笑ったりするヤツというのはそれが癖になってしまっている場合があるたい。つまりは悪気がなくても、「そのような人との接し方」をしてしまっている。だから、相手から見りゃ、悪気がないのに挨拶されなくなったって受け止められかねんたい。
正直こんなヤツとは付き合いする必要ないんやが、社会にはそういうようなヤツもいて、しかも具合の悪いことにそういうヤツが高い立場に立っている場合もある。だから、会社での付き合いだから仕方ないなと思いつつ、挨拶をするんや。
次に第三者の立場に立った場合。自分と相手との挨拶の様子というのは、誰かに見られている場合が多いったい。その人は自分や相手がどんな人なのかを知らん。そんな状況下で自分が相手に対して、俯いてあいさつしたり、あいさつしなかったりした場合、「この人はあいさつをしない人」という烙印を押されてしまうたいね。こうなってしまったら、自分にとって損やろ?
・・・確かに。
あいさつを返してもらわなかったり、あいさつを小馬鹿にされるのは誰だってしんどい。もちろん、俺もや。
だが、コミュニケーション上手だなと思えるような人は誰に対しても元気な挨拶をしていると思うたい。
だから、社会人として、組織の一員として生きていく上ではそういうしんどいところを受容しないといけないと思うたいね。
苦手な人よりも自分を好いてくれる人を意識する
オマエが苦手な人に対して挨拶ができないというのは、苦手な人を意識しているから、ってさっき言ったやろ?
うん。
そういった人はな、どう意識しようが、そういう人間なワケやから、意識せんほうがいいたいね。
むしろ、ソイツを意識して、挨拶を返されたときに返されなかったら傷つくのが嫌だから挨拶しないということをしていたら、
結果として、潜在的に自分を好いてくれる人を失う結果になりかねんね。
・・・潜在的に自分を好いてくれる人?
ああ。どんな人間にも、その人間を好いてくれる人2割、普通だと思う人6割、嫌いだと思う人2割くらいの割合に分かれると思うたいね。
その、好いてくれる人2割が潜在的に自分を好いてくれる人。苦手な人ばかり意識して挨拶しないということをしてしまうと、その好いてくれる人2割からも印象悪くしてしまう。
だから苦手な人を意識しない、機械的な挨拶。好いてくれる人には心のこもった挨拶。後者の方に意識を注ぐことの方が大事やと思うけんね。
・・・なるほど。
まとめ
今回は、あいさつの大切さということで、あいさつをするということはどういうことかについて心理学的観点から説明したのち、そこから導き出される、あいさつがもたらす対人関係への効果についてまとめてみました。
あいさつには
「私は確かにここにいます。あなたも確かにここにいますね。今、この瞬間お互いに顔を合わせることが出来てよかったですね。」
という意味が込められていて、あいさつをするということは、相手の存在を認める行為に相当するということをお話しました。
逆にあいさつをしないということは、相手の存在がないものとして取り扱う、好きの対極に位置する「無関心」の意思表示であることを説明しました。
挨拶をすることによって、相手は自分の存在を認めているということを確認できるわけですから、その相手には話しかけやすい雰囲気が出来ます。これがコミュニケーションのやりやすさにつながり、一緒に仕事をやりやすいなと思われる、すなわち好印象に繋がるのです。
また、人の挨拶を無視したり、小馬鹿にしたりするような人間もいることは確かです。そのような人間から挨拶が返されなかったり、小馬鹿にされたら自分の心は傷つきます。しかし、だからと言ってその人に対して挨拶をしないという行動を選ぶと、第三者から見たときに「この人は挨拶をしない人だ」と思われかねません。
従って、機械的でもいいのであいさつをします。相手を「あいさつという値を与えると無視という返り値が出てくるロボット」と考えればいいのです。
このような人ばかり意識して挨拶しないということをしていると、潜在的に自分を好いてくれる人からも「あいさつしない人」と思われることがあります。それは自分にとって損になります。
ですから、苦手な人にもあいさつをするということも大切なのです。
「団塊世代の我楽多(がらくた)帳」(https:skawa68.com)というブログの
2019/6/8付けで「挨拶の大切さ」の記事投稿
しています。もし、ご参考にしていただければ幸いです。