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民宿のオーナーと沖縄の観光スポットを巡る旅
私、しままるは沖縄に行ってきました。現地の民宿のオーナーのおかげで非常に濃い沖縄旅行になったので、
この記事では、その民宿の紹介とともに、その旅行記を書き残していきたいと思います。
民宿のオーナーと160㎞のドライブ
元々、美ら海水族館に行くことが目的で沖縄に来たわけですが、現地で宿泊した民宿のオーナーがすごい人で朝、こんなことを言ってきたのです。
「今日はどこに行くんじゃ?」
美ら海水族館です。と答えると
「ほう、どうやっていくんじゃ?」
と聞いてきたので、那覇のバスターミナルから高速バスが出ているようなので、それで行きます。と普通の答えを返したら
「ワシが沖縄のいいところを案内しながら連れて行ってやる。ガソリン代さえ払ってくれればいいよ」
と言ってきたので
え・・・?そんな話って・・アリ??
みたいな状態に。
「高速バスだとこの(↓)真ん中の沖縄自動車道を通っていくんじゃが、ワシの車だと、この58号線に沿って行くから、綺麗な海とか沖縄のいろんなところを見せてやれる」
・・・ビックリしました。民宿のある那覇市から美ら海水族館まで約80㎞。往復で160kmの旅程を私一人の宿泊者のためにマイカーで連れて行ってくれるんです!
とのことでした。もう迷わず
行きます!!
ということになって、
「ほんじゃま、美ら海いってくるわー」と女将さんに伝えて、まるで近所のどこかに出かけるかのように連れて行ってくれました!
オーナーさんのおかげで、非常に濃い沖縄旅行になりました!民宿のホームページはこちら!↓
さぁ!民宿のオーナーと160㎞のドライブスタートだよ!!
スポット① 琉球王朝の時代から受け継がれてきた古民家
車に乗って10分もしないうちに、琉球王朝の時代から残っていて、那覇市が保存している古民家に案内してもらいました。
屋根の上にシーサーがいますね。
1600年ころからの家が残ってるなんてスゴイ!倉敷市が保存している美観地区の建物だって大正時代のものなのに!
スポット② アメリカの名残を残した建物
車は国道58号線に乗り、北へ・・・
第二次世界大戦が終わってから1972年まで、沖縄はアメリカ統治下にありました。アメリカだった当時の名残を残した建物があり、日本国内にいるはずなのに、まるで外国に行ったかのような感覚に。
いたるところに円とドルの両替所。
389.5ドルの車
左側通行で日本の車が走っていて、左側にはアメリカの軍用基地がある。沖縄ならではの風景。
南国の木が生い茂る中、日本語の看板が見える。ちょっと不思議な感じがしました。ケッペンの気候区分によると、日本の大部分は温帯(Cfa)ですが、沖縄だけが熱帯雨林気候(Af)なのです。沖縄はノーパスポートで行ける南国です。
スポット③ 恩納村の道の駅
恩納村は「おんなそん」と呼びます。沖縄は読みづらい地名が多いこと多いこと・・・読谷村、宜野湾市、豊見城市・・読めますか?私は読めませんでした。
道の駅の風景。まるでシンガポールの出店のようでした。まったくもって、日本らしくない。それなのに日本語で食べ物注文して、日本円を支払う。
違和感だらけだねぇ~
ここで食べたのがラフテーと呼ばれる沖縄料理。ラフテーは沖縄風角煮といったところでしょうか。通常の角煮と違うところは、皮付きであることです。
道の駅にある入り江
撮る写真一枚一枚がすごくキレイに写るのよね!7月7日がいい天気の日で本当に良かった!!
スポット④ 沖縄宇宙通信所
車で沖縄技術大学院大学の傍を通った時に
「ここには外国から来た学生がいっぱいいる。みんなわけのわからんことしてるよ」
と言ってきました。私は
「私は、そのわけのわからんことをしてた人種でした。」と返してそこから学生時代の研究の話になって、
JAXAと組んで研究をした話をしたら、
「ほんなら、ほぼワシしか存在を知らない、JAXAの施設に連れてってやる」
といい、↓の看板に沿って車は山奥へ。本当にJAXAの職員しか使わなさそうな半分舗装されていないような道路を通って、沖縄宇宙通信所に向かいました。
宇宙通信所に向かう道すがら、宇宙通信に必要なレーダーを見つけました。ここから、人工衛星に指令を与えたり、ISS(国際宇宙ステーション)にいる宇宙飛行士と交信したりするのです。
沖縄宇宙通信所に到着。上にシーサーが乗っかっているのが沖縄らしい。
国際宇宙ステーションやロケット、人工衛星や官制設備など見学して満足。
思わぬところで、学生時代の思い出に浸ることができました。
スポット⑤ かりゆしビーチ
恩納村と名護市の境目に沖縄一キレイと呼ばれるビーチに連れてってもらいました。
海がすごくキレイだった~!!
ビーチのそこいらじゅうに、こんな不思議なものが転がっていました。珊瑚の死骸。
これ、東京に持っていったら、すごく珍しがられそう!!
スポット⑥ 海洋博公園(美ら海水族館)
出発してから5時間。やっと、目的地の沖縄美ら海水族館に到着。到着までの道のりが非常に濃かったので、どこが目的地なのかよく分からない感じに・・・。
美ら海水族館は南北約1.8㎞にも及ぶ「海洋博公園」にある施設の一つです。海洋博公園にはほかにも
・熱帯、亜熱帯都市緑化植物園
・おきなわ郷土村・おもろ植物園
・海洋文化館、プラネタリウム
・オキちゃん劇場
・エメラルドビーチ、海岸遊歩道
といった施設があり、一日では回り切れないほどのボリューム感のある公園です。
私はこの中で「海洋文化館」「オキちゃん劇場」「美ら海水族館」に行ってきました!
海洋博公園で撮った一枚
海洋文化館
沖縄の歴史を学ぶことができます。当時使われていた建造物や道具の復刻もあり、沖縄の島に人が渡ってきた当時の様子、島人(しまんちゅ)の当時の生活の様子を肌で感じることができます。
アジア各国に住んでいた人たちが↓のような船を作って、何十年、何百年にも渡る航海の末、沖縄の島にたどり着いたといわれています。
そうやって考えると、世界各国に数時間~1日で行ける今の世の中ってスゴイよね!!
地球が丸いという事さえも分かっていなかったころ、終わりがあるのかどうかすらわからない航海で一生を過ごしたという人がたくさんいたのではないか?と思うと、今の時代がいかに恵まれた環境かわかります。
そして、沖縄の島に集落ができました。
海を渡って新しい島にたどり着いた集団は森を拓き、集落を営みました。そして、森の自然にも恵まれ、海の自然にも恵まれ、それに合わせて集落の人々の技術も発展し、農業・水産業を発展させ、世代を超えて、島の恵みに感謝し、上手に利用していくという文化が出来上がったのです。
その後、琉球王朝という国ができ、廃藩置県の波に飲まれて沖縄県となり、戦後アメリカ支配下に置かれながらも、1972年に返還され、現在の沖縄県に至るという流れで、今の沖縄県があります。
オキちゃん劇場
オキちゃん劇場とは、イルカショー劇場のことです。ミナミバンドウイルカ、オキゴンドウ、カマイルカたちのダイナミックなハイジャンプ、ダンスやコーラスなどが楽しめる劇場です。
ただし、イルカショーのレベルとしては仙台うみの杜水族館(うみの杜水族館のイルカたちは八景島から来たので、八景島とも同じレベルと言えそうです)と同じくらいのレベルかな。と思いました。
美ら海水族館はアジア1位の水族館だから、きっとすごいものを見せてくれるに違いない!と期待して行ったら少しガッカリするかなーとも思いました。
ハイジャンプからの着水。ダイナミックな水の表現ができるので、このシャッターチャンスは逃せません!
フラフープダンス
噴気孔を使ったコーラス
美ら海水族館
いよいよ、本当の目的地、美ら海水族館に到着!
まず、驚いたのが、水槽の壮大さ。体長14mのジンベイザメが気持ちよく泳げるほどの広さ。ここまで大きな水槽は日本国内ではここだけかなと思います。(シンガポール水族館といい勝負かな?という感じです。)
ジンベエザメは水槽の上端にいて、なかなか姿を見せてくれないのですが、辛抱強く待っていると、たまにシャッターチャンスをくれたりします。
実際に目で見るとすごく大きくて圧巻だったなぁ~!こんな大きな動物を水槽の中に入れたこと自体がスゴイよね!
ジンベエザメは、大きな体の割には環境の変化に弱く、臆病なので、飼育が難しいとされています。そんな中でジンベエザメを水槽に入れて、安定した飼育をしている美ら海水族館はスゴいなと思います。スタッフの努力の賜物だと思っています。
美ら海水族館を出て、軽く軽食ののち、海洋博公園を後にしました。
スポット⑦ 夕陽と幸喜ビーチ
民宿のオーナーの車に戻ると
「いやー長かったね~。今まで美ら海連れて行った人の中で一番長かった~」
お待たせして申し訳ございません。自分でも結構時間切り詰めたつもりではあったのですが・・・。
(うみの杜水族館に6時間いるのが普通だったので、時間間隔がおかしかったのかも)
「帰るときには、沖縄一キレイな夕陽が見れるところを教えてやる」
と言ってくれたので、帰り際に再びビーチへ。
陽が落ちる寸前のビーチ
陽が落ちるのを眺めながら、ゆったりとした時間を過ごす。
こんなに太陽を長い時間眺めていたのは久しぶりかも!
沖縄を去る
次の日の朝、民宿のオーナーが
「もう帰るんか。なら那覇空港まで送ったる」
ということで、空港まで送ってもらいました。
もう至れり尽くせりでございます!!
那覇空港到着後、何枚か飛行機の写真を撮って、沖縄を後にしました。
非常に濃い沖縄旅行になりました!
民宿(↓ホームページ)のオーナーには非常に感謝しております!
また行きます!!
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