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勉強しなさいの意味
皆さんは子どものころ「勉強しなさい」の言葉を一度は(人によっては何度も)言われたと思います。私の母親は教育ママでして、勉強しないこと殺すくらいの雰囲気を持った怖いママでした。ここではなぜ大人たちは子どもに対して勉強しなさいというのか、勉強の意味とはどんなものがあるのか?について考えてみたいと思います。
勉強すればいい大学に行けていい企業に就職でき、安定した人生を送れるという幻想
まず、私が「幻想」と表現する、間違った勉強の意味について述べたいと思います。私の母親はよくこんなことを言っていました。「国公立大学じゃないと大学に行かせないよ」と。国公立大学の概念すらもわからない子どもの私に再三言ってきました。さらに、調子に乗ると旧帝大だの東大だの言ってきました。(※私は高校生になるまで、旧帝大という名前の大学がどこかにあると勘違いしていました。いい思い出ですね。)
確かに私は勉強して旧帝大に行って、大手化学メーカーに行きましたが、勉強することの価値の本質はそこにはないと思います。いい企業に就職すればいい人生を送れるなんてそんなものは幻想にすぎません。(実際に私は人生を楽しいと思いません。)
では、勉強することの本当の意味とは何なのでしょうか?私の考えるところを述べていきたいと思います。
学校教育で学ぶことは人間として生きるための必要事項である
義務教育では国語・数学・理科・社会・英語・技術家庭科・芸術・音楽・保健体育といった、色々なことを勉強させられます。なぜ、私たちは義務教育の間に色々なことを強制的に勉強させられるのでしょうか?国語が好きな子には国語だけ、数学が好きな子は数学だけ勉強するのではいけないのでしょうか?それに対する答えは「義務教育で学ぶことはどんな人生を歩もうが必要になってくる事項だから」です。たとえ、小学生時代にプロ野球選手になるとか、最近では中学生がYouTuberになるとか言っていますが、うまくいくとは限りません。もしかしたら途中で夢が変わるかもしれません。その夢が叶ったとしても、色々な経験や知識を要求されます。その時に偏った知識だけ持っていたら苦労することになるので、まんべんなく勉強させられているのです。
理数が好きな少年の話
例えば、「僕は理数が好きだから、国語は要らないんだ。芸術や体育も要らないんだ。」という子がいたとします。(これは昔の私です)その子が理数系の大学に進学しました。その時、レポートの提出を求められます。評価されるレポートを書くには国語が必要です。旧帝大の大学でさえ「日本語が不自由なヤツがいる」とため息をつく助教がいます。これは由々しき事態です。(言っておきますが、日本語が不自由と揶揄された学生は私ではありません。)さらに、研究室に入れば英語で書かれた論文を読みます。学問の世界では論文が読めなければ話にならないのです。優秀な学生は英語の論文を書くことになるでしょう。ここでも英語力が必要です。
その人は趣味の時間を使ってTwitterやブログをはじめました。Twitterの世界では文章よりも絵のほうがいいねやRTを貰いやすいです。この理由はなんとなくわかるかと思いますが、「絵のほうが伝えたいことを伝えやすい」のです。ここでその人は芸術(美術)の授業をしっかり受けて、それなりに絵が描けるようになっておいたほうがよかったなぁと後悔します。
会社に就職すれば、色々なスポーツに誘われます。体育を楽しんだ人は体を動かすことがいいストレス発散になることを知っているのです。人前で運動をするのが嫌いな私はそれに付き合うことができません(あるいは嫌々付き合います)。困ったもんです。
・・・と言った感じに、人間は生きていく上で色々な能力を求められます。将来は理数系だから、文系だから、とかましてやYouTuberになるからこんなにいっぱい勉強したくないというワガママで勉強をさぼると、人生が辛くなってしまいます。
理数は必要か?理数の勉強を頑張らなかった人の話
数学が苦手な人からはsinだのcosだの微分積分は人間として生きていくうえで必要なの?と言われそうです。でも、人間はいつ、どこで、何に興味を持つのかわかりません。次は、理数の勉強を積極的にやらなかった人の話をします。
大切な人が病気になりました。でも、理科の勉強をしっかりとやってこなかったために、本人の体の中で何が起こって、何が苦しんでいるのかわかりません。何かしてあげたいと、医学書を読もうとしますが、チンプンカンプンです。大切な人に対して何もしてあげられない自分が悔しくなったという話がありそうです。(これは私の想像です。)
高校を卒業して、オペレーターとして大手メーカーに入社した男子の話をします。現代の化学プラントはまさに理数系の知識の塊です。なぜ自分はこの操作をさせられているのか?わからないままやらされているのはしんどい。そう考えて化学や物理を学ぼうとしましたが、数学の知識が足りていないため、苦労しました。結局彼は仕事を辞めて、大学に入りました。(これは年上の大学時代の同級生の話です。)
このように人間はどんな職業に就いたとしても、生きていると、いつ、どんな知識が要求されるかわかりません。だから、人間として生きていくうえで最低限のことをまんべんなく学んでおけば、いざというときに役に立つのです。それが義務教育(最近では高校も半分義務教育みたいなもんですね)の役目であり、それに応えるのが子どもの役目です。
勉強は他者理解のために必要である
人間は生きていると、色々な人に出会います。その人たちはそれぞれ色々なことを学び、今日を生きているはずです。そこで、自分の学問の幅が広いと、そこで話がしやすくなるのではないか。と私は思います。また、その人が何を考えているかということも想像しやすくなります。つまり、現場における同じ現象でも機械を専攻した人と化学を専攻した人とでは考えていることが全然違ったりします。そこでコミュニケーションの食い違いが発生します。
色々なことを勉強しておくと、色々な人と話しやすくなる。それは他者理解しやすくなるということだと思います。
無知は人を傷つける
先ほどの「勉強は他者理解に必要」の裏返しになりますが、私が最近よく思うことは「無知は人を傷つける」です。生まれつきの脳の障害を抱えた人、過酷な生育環境のお陰で精神異常になった人、そういった人の背景を知らないでモノをいう人間が相手を傷つけていると思うのです。
最近は若者の間で「アスペ」という言葉がはやっています。話が通じ合わないと感じる人に対して簡単に「アスペ」と言ってしまうのです。人間は十人十色な考え方がありますから話が合わない部分があるのは当たり前です。それなのに、自分と話が合わなくて気に入らないから「アスペ」と揶揄する。アスペ、すなわちアスペルガー症候群というのは病気の名前です。そう、易々と使う言葉ではありませんし、アスペルガー症候群の患者に大変失礼です。アスペルガー症候群とはいったい何なのか?脳のなかでどんな現象が起きているのか?アスペルガー症候群患者は何に苦しんで生きているのか?こういったことを知らないで「アスペ」という言葉を使う人を私は軽蔑します。
福島の子どもがいじめられる事件も同様です。放射線の何が危険で、どうすれば安全になるのか全く知らないで、大人は「福島の野菜は食べられない」といい子どもは「福島からきた放射能君から逃げろー」といいます。無知な人間が使う「放射能」という言葉には、何の価値も意味もありません。むしろ、放射線のことを何も知らないで「放射能」という言葉が簡単に使われる世の中に嫌気がさします。
自分の知識がないため(あるいは知識のない人が知識のあるフリをするため)に知らぬ間に人を傷つけている。そういったことは現代の世の中で往々にしてあると思います。私はそういった人間を嫌いますし、私もそのようなことをしてしまわないように気を付けたいと思います。
子どもが勉強する環境を奪う犯罪行為(いじめ)
いじめ問題がネットやニュースでよく議論されています。いじめというのはおそらく、「俺は誰かよりも強くありたい」という動物としての本能として発生する現象だと思います。自分の強さの誇示を示すためには「自分よりも弱い相手」が必要であり、体の小さい子、少し話し方や振る舞いが変わっている子などがターゲットとされます。これらは人間の世界では個性なのですが、弱肉強食の子ども世界では弱者となってしまうわけです。
そういった子どもが持つ動物としての本能をけん制するのが学校教育者の役目なのですが、全く役に立っていないのが現状です。
今までに述べた理由から、人間として豊かに生きていくためには「勉強」が必要で、その勉強を行うためには「場」が必要です。いじめというのはその「場」を奪ってしまう行為にあたります。すなわちその人の「勉強」を奪うことに相当するため、「いじめ」は人生を破壊する犯罪行為と言っても良いでしょう。
世間ではいじめの行為そのもの(暴行、恐喝、人格否定など)を問題視しておりますが、いじめの問題はそれだけではありません。上記に示したような人間として生きる道を破壊し、さらにその人の自己肯定感まで破壊するという問題も孕んでいます。ぜひ、世間様にはそちらの方にも着目していただきたいと切に願います。
私個人の意見としては、いじめがあれば「クラスを変更する」「当該児童を出席停止にする」「児童の親を罰する」など厳しい取り扱いをとっていいと考えております。
まとめ
人間が生きていくうえで「勉強」というものは必要です。必要ないように見えて、実は必要なのが「勉強」なのです。安心して「勉強」できる環境にいる子はぜひそれを有効活用してください。勉強はあなたの人生を豊かにします。
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