『勉強できてもね』が生まれるのは、個人の性格だけではなく、まわりの空気にも理由がある
知性や努力そのものが悪いのではなく、それが周囲に比較感覚や試される感じを呼びやすいことが、扱いの難しさにつながることがあります。
「勉強できてもね」という言葉が生まれるとき、 そこで動いているのは単なる好き嫌いだけではありません。 知性や勉強の努力は、結果だけで終わらず、 話し方や見方や反応の仕方にまでにじみやすいぶん、 周囲に比較感覚や落ち着かなさを呼びやすいことがあります。
だから、勉強の努力だけ妙に扱いが難しいのは、 努力の価値が低いからというより、 その努力が人間関係の中で別の感情を引き起こしやすいからかもしれません。 そこを見ないまま「感じ悪い人」で終えると、 見落とすものがかなりあります。
努力してること自体じゃなくて、勉強の努力だけ妙に扱いが難しい
同じ努力でも、なぜか勉強だけは少し違う空気で扱われることがあります。
……なあ、ディープル。
最近ちょっと思うんだけどさ、
努力してること自体が嫌われる、ってだけでもない気がするんだよな。
……うん。
というと?
たとえば運動とかさ、
部活とか、目に見える頑張りって、
わりとそのまま褒められやすいだろ。
でも勉強の努力って、
なんか妙に扱いが難しい感じがある。
すぐ茶化されたり、ちょっと引かれたり。
ああ……。
うん。
その違いは、たしかにありそう。
だろ。
しかも「頭いいね」って言葉も、
褒めてるっぽいのに、なんか距離があるときあるし。
そのまま「すごいね」で終わらなくて、
ちょっと線を引かれる感じが混ざることがある。
うん。
褒めてるようで、
ちょっと遠ざける感じが入ること、あるね。
努力は努力でも、
何を頑張ったかによって空気が変わることがあります。
そこには、努力の中身そのものというより、
それが他人にどんな感情を起こさせるかの違いが関わっているのかもしれません。
勉強の努力は、話し方や見方にもにじむから、相手が試されてる気持ちになりやすい
知性は結果だけで完結せず、その人の反応や視点にも表れやすいため、周囲に不安や比較感覚を呼びやすいことがあります。
運動の努力や手先の技能と比べて、
勉強や知性の努力が扱いづらくなりやすいのは、
それが点数や資格だけで終わらず、
その人の話し方やものの見方にまでにじみやすいからかもしれません。
つまり、知性は「持っている結果」だけでなく、
「いま目の前でどう考えているか」としても見えてしまう。
そのぶん、相手が無意識に試されているような気持ちになったり、
比較の場に立たされた感じを持ったりしやすいことがあります。
たぶん勉強って、
結果だけじゃなくて、
話し方とか、ものの見方にも出やすいんだと思う。
ああ……。
ただ「頑張った」という事実だけじゃ終わらんのか。
うん。
その場での反応とか、
物事の切り分け方とかにも出るから、
相手が試されてる気持ちになりやすいのかもしれない。
なるほどな。
ただ存在してるだけで、
比較のスイッチが入ることがあるのか。
うん。
しかもその比較って、
本人がしてなくても起きることがあるから、ややこしい。
ああ、それだよな。
別にこっちが上から見てるわけじゃなくても、
相手のほうで勝手に息苦しくなることがある。
そう。
だから知性そのもの、というより、
知性が周囲に呼び起こす不安とか比較感覚のほうが、
問題になってることも多いんだと思う。
ここで見えてくるのは、
「頭がいい人が嫌われる」のではなく、
知性がまわりに不安や比較感覚を起こしたとき、
その処理が「感じ悪い人」という形で個人に戻されやすい、ということです。
個人の感じ悪さだけで説明すると、空気の側にある圧力を見落としやすい
誰か一人の性格の問題にしてしまうと、比較を強めたり、同じでいることを求めたりする空気の働きが見えにくくなります。
もちろん、知識の出し方や態度に問題がある場面はあります。
でも、勉強や知性をめぐるぎこちなさを、
いつも個人の「感じ悪さ」だけで説明してしまうと、
まわりにある同調圧力や比較の空気が見えなくなります。
「みんな同じくらいでいてほしい」
「あまり差を見せつけないでほしい」
そういう無言の期待がある場所では、
その期待から少し外れるだけで、
人は思ったより簡単に浮いた存在として処理されてしまいます。
でもまあ、
実際に話し方がきつい人とか、
いかにも見せつけてる感じの人もいるじゃん。
うん。
それは、ある。
そこは普通に分けて見たほうがいいと思う。
でも、
それだけで全部説明しようとすると、
空気の側にある圧力を見落としやすい気がする。
ああ……。
人の態度だけじゃなくて、
その場が何を嫌がるか、のほうもあるってことか。
そう。
たとえば、
ちょっと差が見えるだけで落ち着かなくなる空気とか、
同じくらいでいてほしい感じとか。
それがあると、
別に誰かを傷つけようとしてなくても、
ちょっと浮くだけで処理されるんだな。
……うん。
だから、
個人の感じ悪さだけで終わらせると、
たぶん見えなくなるものがあるんだと思う。
個人の問題だけで説明すると、見落とすものがある
誰か一人の性格だけでなく、その場の不安や比較や同調圧力まで含めて見ると、少し違う景色が見えてきます。
「勉強できてもね」が生まれる空気には、
個人の振る舞いだけでは説明しきれないものがあります。
知性が周囲に比較感覚を呼び、
その比較が不安を生み、
その不安が「ちょっと感じ悪い」という言い方に変換される。
そういう流れが混ざっていることがあります。
だから、勉強や知性をめぐるぎこちなさを考えるとき、
個人の性格だけで終わらせないことには意味があります。
それは誰かを免罪するためではなく、
本当に何が起きているのかを見落とさないためです。
……なんか、
少しだけ外側が見えた気がする。
うん。
それだけでも、たぶん大きいと思う。
少なくとも、
俺が変だから全部こうなった、だけでもなさそうだな、とは思えた。
うん。
個人の感じ悪さだけで説明すると、
たぶん落ちるものがある。
そこを見落とさないほうがいい、ってことなんだと思う。