学問を軽んじる社会は、すでに学問の積み重ねの上に立っています
知的訓練への敬意は、単なるエリート礼賛ではなく、橋や制度や医療や製造を支える土台への敬意でもあります。
「頭がいいだけでは意味がない」「勉強だけできてもね」という言葉には、 個人への不満だけではなく、学問や知的訓練そのものを軽く扱う空気が混ざることがあります。 でも、いまの社会は、誰かが考え、学び、検証し、設計してきたものの上に立っています。
橋、半導体、医薬、法制度、通信、製造プロセス、会計制度、教育制度。 それらは突然そこに現れた便利さではなく、 長い時間をかけた思考と訓練と検証の積み重ねから生まれています。 だから、学問を「机上の空論」とだけ言い放つのは不誠実です。
もちろん、社会は設計だけでできているわけではありません。 運用、保守、伝達、販売、支援、現場で回し続ける仕事も必要です。 それでも、その土台を生み出す学問と設計の営みを軽んじてよい理由にはなりません。
沈んだままのストークと、たどたどしく言葉を探すディープル
最初から思想を整えて語れるほど、傷はきれいではありません。まず出てくるのは、寂しさや悔しさや、自分に向いてしまった嫌悪かもしれません。
……なあ、ディープル。
俺さ、ほんとに分からんとたい。
……うん。
ゆっくりで、いいよ。
勉強が俺の生き方だったのに、
どうしてそれが嫌われるんだろうって、
ずっと分からんかった。
自分が面白いと思ったことが敬遠されて苦しかった。
ただ面白かっただけなのに。
なんで、そんな顔されるとやろって。
……うん。
それ、たぶん……。
頭がいいと思われたいだけ、ではない気がする。
なんというか……。
好きだったものを、好きなまま出すと、
感じ悪いみたいにされるのが、
いちばん苦しかったんじゃないかな。
……ああ。
そうかもしれん。
たしかに、そこかもしれんばい。
旧帝大に行くことと甲子園に行くことって、
俺には実質同じに見えるとたい。
どっちもすごい努力だろうもん。
なのに、なぜ甲子園だけがもてはやされるんだろう。
なんで勉強のほうは、
ちょっと湿った感じになるとやろう。
うん……。
たぶん勉強のほうは、
その場の人の不安とか比較とかを、
呼びやすいのかもしれない。
運動って、見て「すごい」で終わりやすいけど、
勉強って……話し方とか見方にも出るから、
相手がちょっと試される感じになること、あるし。
……ああ。
ただ「すごい」で終われんのか。
俺は俺が嫌いになったことがある。
勉強が好きな自分が、
なんか感じの悪いものみたいに思えて。
……うん。
それは、かなりきつい。
好きだったものじゃなくて、
好きだった自分のほうが傷ついてるから。
(えっ、なにごと……?)
社会の土台を支えているのに、学問だけを「机上」と切るのは不誠実です
橋や半導体や医薬や法制度は、誰かの思考・学習・検証・設計の積み重ねで成り立っています。そこへの敬意は、個人崇拝とは別の話です。
ある個人が、実務への適応に弱い。
あるいは、人間関係が不器用である。
そうした個別の評価は、もちろんありえます。
でも、それと「学問を深く修めた人全体を軽視してよい」という話は別です。
現代社会は、
橋、半導体、医薬、法制度、通信、製造プロセス、会計制度、教育制度など、
誰かの思考・学習・検証・設計の積み重ねで成立しています。
それらは空から落ちてきた便利さではなく、
学問と知的訓練の長い堆積の上にあります。
もちろん、社会は設計だけで動いているわけではありません。
現場で運ぶ人、保守する人、伝える人、販売する人、支える人が必要です。
でも、そのことは、
土台を生み出す学問と設計の営みを軽んじてよい理由にはなりません。
なんというか……。
「頭がいいだけでは意味がない」って、
個人の使いにくさの話としてなら、まだ分かるところもあるんだけど。
でも、それをそのまま
学問とか知的訓練そのものを軽く見る話にしてしまうのは、
たぶん違う。
……待って。
ちょっと分かったかもしれん。
つまり、
「ある秀才が現場で不器用だった」
と
「学問なんて大したことない」
は、全然べつの話なんだ。
……うん。
たぶん、そこ。
しかも社会って、
誰かが考えて設計してきたものの上に乗っとるたい。
橋も、半導体も、薬も、法律も、通信も、工場も。
それを作る営みには、
当然、学習も検証も抽象化も必要だったわけだろ。
なのに、それを「机上の空論」とだけ言うのは、おかしかよ。
うん。
不誠実、という感じはする。
使ってるのに、土台を作る営みだけ軽く言うのは。
そう、そこなんだ。
別に「設計する人だけが偉か」って話じゃなか。
運ぶ人も、回す人も、保守する人も、伝える人も、みんな必要だろうもん。
でも、
だからといって土台を生み出す学問と設計の営みを軽んじていい理由にはならん。
そこは、ぜんぜん別たい。
……うん。
たぶん、知的訓練への敬意って、
エリート礼賛というより、
社会基盤への敬意なんだと思う。
お前さ、
そういう大事なこと、
最初からそこまで流暢に言えや。
無茶言わないでよ……。
こっちも、かなり必死だったんだけど。
知的訓練への敬意は、誰かを見下すためではなく、社会の土台を雑にしないためにある
怒りをそのままぶつけるのではなく、何に対する敬意の問題だったのかが見えたとき、少しだけ呼吸が変わることがあります。
学問を軽んじる社会に対する違和感は、
学歴への執着だけでは説明できません。
そこには、
自分が大事にしてきたものが雑に扱われた悲しさと、
社会そのものを支える営みへの敬意が軽くされていることへの痛みが混ざっています。
だからこの怒りは、
ただの優越感とは違います。
何を土台にして生きているのかを忘れたまま、
その土台を作る努力だけを笑ってしまうことへの、
かなり静かで、かなり深い違和感です。
……なんか、
やっと少し筋が通った気がする。
うん。
よかった。
まあ、それでも
いきなり世の中に全部分かってもらえる気はせんけどな。
うん。
それは……たぶん、無理。
即答すんなたい。
そこだけは、ちょっと自信あるから。
後日談
見ていたけれど、言いすぎない。その距離感のまま、少しだけ空気がやわらぐことがあります。
そういえばストーク。
今日、ちょっと元気なかったね。
……べつに。
気のせいだろ。
そっか。
じゃあ、そういうことにしとくね。