好きだったものが恥に変わるとき、傷ついているのは能力ではなく生き方です
勉強そのものが悪かったのではなく、それを好きな自分を安心して出せる場所が少なかったのかもしれません。
好きだったはずの勉強が、ある日から少しずつ出しづらくなることがあります。 学歴の話というより、自分が面白いと思ったものを面白いまま差し出すことが、 どこか感じの悪いことのように思えてしまう。 そうして、自分の核に近かったものが、いつの間にか羞恥の側へ追いやられていくことがあります。
そのとき人は、勉強を嫌いになったというより、 それを好きだった自分ごと、少しずつ隠すようになります。 だから痛いのは、「評価されない」ことだけではありません。 自分の生き方だったものを、人前で持っていてはいけない感じがすることです。
好きだったものを、好きと言いづらくなった
面白いと思っていたはずのことが、いつの間にか人前で出しにくいものになってしまうことがあります。
……なあ、ディープル。
俺さ、勉強のこと、昔はもっと普通に好きだったんだよ。
……しってるよ。
でも、「好きだった」って言い方になるんだね。
そう。
今でも嫌いになりきったわけじゃなか。
でも、好きだって出すのが、だんだん恥ずかしくなった。
好きじゃなくなった、というより……。
好きな自分を出しづらくなった、のほうかも。
……ああ。
そっちが近い。
自分が面白いと思ったことが敬遠されて苦しかった。
そこから、ちょっとずつ変わった気がする。
うん。
そこは……大きいね。
面白かったもの自体じゃなくて、その向け方を嫌がられた感じがある。
そうなんだよ。
俺はただ、これ面白いなって話したかっただけなのに、
なんか空気がおかしくなることがあった。
ああ、これ、そのまま出すと嫌われるんだな、って。
そういうのを覚えていった。
それは……。
勉強が悪いと学んだ、というより、
勉強が好きな自分の出し方は危ない、って覚えた感じかもしれない。
……ああ。
それだな。
勉強が俺の生き方だったのに、
なぜその話が嫌われるのか、
ずっと分からんかった。
うん。
そこ、簡単な話で薄めるのは違う気がする。
それは……かなり固い場所に刺さってる。
……俺は俺が嫌いになったことがある。
勉強が好きな自分が、
どこか感じの悪いものみたいに思えて。
だったら、そんな自分ごと薄くしたほうがいいのかって。
……うん。
それは、かなりつらい。
そうなるの、当然だとまでは言わないけど……自然ではあると思う。
好きだったものを好きでいられなくなるとき、
人は対象そのものを捨てたというより、
それに向かっていた自分の姿勢を恥ずかしがるようになります。
だからこれは、趣味の変化ではなく、
自分の一部が羞恥に変わってしまう経験に近いです。
好きだったものそのものではなく、好きな自分のほうが危なくなった
勉強そのものが悪かったのではなく、それを好きな自分を安心して出せる場所が少なかったのかもしれません。
勉強が恥ずかしくなるとき、
そこで起きているのは「対象の価値が下がる」ことだけではありません。
むしろ、自分がそれを面白いと思う感覚、
それを話したくなる熱量、
そこに乗って生きている感じそのものが、
人前では危ないものに見えてしまうことがあります。
勉強そのものが悪い、というより……。
それを好きな自分を、安心して出せる場所が少なかったのかもしれない。
……じゃあ俺は、
自分のままでいるだけで浮く側だったのか。
その問いは重いね。
でも、ストークそのものが間違ってた、みたいには見たくない。
たぶん偏ってたのは、
何を誇ってよくて、
何を出すと鼻につくとされるか、のほうだと思う。
……そこじゃないかな。
ああ……。
たしかに、誇ってよさそうなものって、妙に偏っとるよな。
体力とか、社交性とか、
目に見えて分かりやすい強さは歓迎されるのに、
頭の中でずっと考えてきたことは、
出し方を間違えるとすぐ嫌なもん扱いになる感じがある。
うん。
だからストークの中では、
好きだったものが悪くなったというより、
それを持ってる自分の見え方が危険になったんだと思う。
そうか……。
俺、勉強を嫌いになったんじゃなくて、
勉強を好きな俺を、人前で持てなくなったのかもしれん。
うん。
それは、かなり悲しいことだと思う。
好きの対象じゃなくて、好きになる力のほうが恥に変わってしまうから。
ここで苦しいのは、勉強の話が通じないことだけではありません。
自分の核に近かったものが、
「そのままでは場に置きにくい」と感じられることです。
だから人は、知識を隠すだけでなく、
興味や熱量やまなざしごと、少しずつ自分の中へ押し戻していきます。
落とし穴は、「じゃあ自分が悪かったんだ」と引き受けすぎること
空気に合わせるしかなかったことと、自分の核が間違っていたことは同じではありません。
好きだったものが恥ずかしくなったとき、
人はその理由を自分の性格や未熟さにまとめたくなります。
でも、安心して出せない空気の中で身についた反応まで、
すべて自分の欠点として引き受ける必要はありません。
でもさ。
こういう話をすると、
結局「うまくやれなかった自分が悪い」って方向に戻りそうになる。
うん。
そこは……引き受けすぎなくていいと思う。
出し方を工夫することと、
出したいもの自体が間違っていたことは、
同じじゃないから。
……ああ。
そこを一緒くたにしてたかもしれん。
合わせるしかない場で合わせてきたことは、
たぶんストークなりの生き延び方だったんだと思う。
それをすぐに自己否定へつなげなくていい。
傷は残っていても、好きだったものまで嫌いにならなくていいかもしれない
完全に元に戻らなくても、自分の核だったものを全部恥の側へ渡さなくていい、という終わり方があります。
好きだった勉強が恥ずかしくなったのは、
それがくだらなかったからではありません。
それを好きな自分を、安心して持てない時間があったからかもしれません。
傷がすぐに消えるわけではなくても、
その好きまで全部、嫌いの側へ渡さなくていいかもしれません。
自分の核だったものを、
もう一度すぐ誇れなくても、
せめて全面的に否定しなくていい場所は残せるはずです。
……なんか、
まだ全然すっきりはせんけど、
ひとつだけ分かった気がする。
うん。
なにが見えた。
俺、
好きだったものまで嫌いにならんでよかかもしれん。
少なくとも、そこまでせんでもよかのかもしれん。
うん。
すぐに胸を張れなくてもいい。
でも、好きだったことまで全部否定しなくていいと思う。
……そっか。
そこだけでも、残しとっていいのか。
うん。
残していいよ。
たぶん、それはストークのかなり大事なところだから。