『勉強できてもね』が痛いのは、能力の話だけではないから
評価を下げられた感じより、自分が大事にしてきた時間や考え方まで、ひとまとめに軽くされた感じが残ることがあります。
「勉強できてもね」「社会で使えなきゃ意味ない」といった言葉が妙に刺さるとき、 そこで痛んでいるのは、成績や学歴だけではありません。 自分が長い時間をかけて積み上げてきたもの、 そこで育ってきた考え方やものの見方まで、 まとめて雑に扱われたように感じることがあります。
だからこの痛みは、 勉強が得意だった人のプライドの問題だけではありません。 自分の生き方そのものを軽く処理された感じがする、 そういう傷として読むほうが近いことがあります。
妙に残る言葉
その場では流したつもりでも、後からじわじわ重くなる言葉があります。
……なあ、ディープル。
「勉強できてもね」みたいな言い方、あるだろ。
……うん。
あるね。
あれさ、
その場では「まあ、そういうこと言うやつもいるよな」で流すんだけど、
後から妙に残るんだよ。
なんか、
じわじわ来る。
でも、何がそんなに痛いのか、自分でもまだうまく言えん。
うん・・・・(ストークがこんなに元気ないの、珍しいなぁ)。
じゃあ、すぐ結論にしなくていいんじゃない?
どこが痛かったのか、少しずつ見たほうがいいかも。
言葉そのものなのか、
言われ方なのか、
それとも……別のところなのか。
そこなんだよ。
べつに俺、
「勉強さえできればいい」と思ってるわけじゃない。
そんな単純な話じゃないのは、普通に分かってる。
そこに反発してるだけじゃない。
うん。
そこは、聞いてて分かる。
ただ言い返したい感じじゃないよね。
そう。
なんていうか、
「そこじゃなか」って感じが強い。
「そこじゃない」か。
……うん。
その感じは、たぶん大事。
こっちはさ、
勉強そのものだけじゃなくて、
長い時間かけて考え方とか、ものの見方とか、そういうのも作ってきたわけだろ。
なのに、
そこ全部飛ばして
「でも社会で使えなきゃね」で終わる感じがするんだよ。
ああ……。
それは、痛いね。
評価されない感じ、というより、
大事にしてきた時間を短く雑にまとめられた感じに近いのかもしれない。
……ああ。
それだ。
たぶん、それがいちばん近い。
「勉強した俺を認めろ」って言いたいんじゃないんだよ。
ただ、
そんな簡単に片づけるなよ、って感じなんだと思う。
痛かったのは、結果だけを見られたことではなく、積み上げ方まで薄くされたこと
長く大事にしてきたものには、結果以上の意味が入っています。その厚みが見られないまま切られると、思ったより深く痛むことがあります。
誰かが長く続けてきたことには、
目に見える成果だけではなく、その人なりの時間が入っています。
何を面白いと思ってきたか、どこで踏ん張ってきたか、
どういう順番で世界を理解してきたか。
そういうものまで含めて、その人の中では意味を持っています。
長い時間をかけて身につけたものって、
本人の中では、結果だけじゃなくて途中の迷いも含めて意味があるんだよね。
そう。
でも外からは、その厚みが見えん。
見えんまま
「で、役に立つの?」って来ると、
その前にあったものがごっそり消える感じがする。
うん。
それだと、「足りない」と言われた感じより、
ちゃんと見てもらえなかった感じのほうが強く残るかも。
ああ。
ちゃんと見た上で言うなら、まだ違うんだよ。
でも、
見ようともされずに片づけられる感じが、きつい。
そこがたぶん、いちばんきつい。
うん。
そこは大きいね。
正確に理解されなかったことより、
ちゃんと見ようともされずに終わる感じのほうが、
深く痛むことはあると思う。
それ、かなりしっくりくる。
俺が痛かったのって、
能力評価というより、
大事だったものの解像度を落とされた感じかもしれん。
だから、この傷は「気にしすぎ」で片づけにくいのです。
自分の中で支えになっていたもの、
そこで形づくられてきた自分の輪郭まで、
一瞬で薄くされたように感じるからです。
落とし穴は、「こんなことで傷つく自分が悪い」とまとめること
痛みの理由が見えないまま自分を責めると、本当に大事だったものまで自分で薄くしてしまいます。
こういう傷つきで起きやすいのは、
「自分は認められたがっているだけでは」と自分を小さくまとめてしまうことです。
でも、何を雑に扱われた感じだったのかを見ないまま片づけると、
本当に大事だったものまで自分で薄くしてしまいます。
こういうときって、
「こんなことで痛がる自分が幼いのかな」って考えやすいよね。
……それは、ちょっと思ってた。
もっと軽く流せるやつのほうが、
大人なんじゃなかろうか、とか。
流せることが成熟、
とは限らないと思う。
……たぶん、そこは別。
何が痛かったのかが見えてないだけ、
ってこともあるし。
大事なものを大事だと思っていたから痛い、
って読み方でもいいはずだから。
……ああ。
そっちで見たほうが、
たしかに自分を雑にせんで済みそうだな。
傷つくのは、それだけ大事にしてきたものがあるから
痛みをすぐに小さくしなくても、その奥に何があったかを知るだけで、少しだけ扱い方が変わることがあります。
「勉強できてもね」が刺さるのは、
勉強してきた自分を特別扱いしてほしいからとは限りません。
自分が大事にしてきた時間や考え方を、
短く雑に処理された感じがするからです。
その痛みを認めても、ほかの人を下げる必要はありません。
ただ、自分の中で本当に守りたかったものがあった、
それだけは丁寧に扱ってよいはずです。
……なんか、
少し見えた気がする。
うん。
どんなふうに。
俺はたぶん、
勉強の価値を証明したかったんじゃない。
そこで大事にしてきたものを、
そんなふうに片づけられたくなかったんだ。
うん。
それだけ大事にしてきたものがあった、ってことなんだと思う。
だから、
傷ついたことまで急いで小さくしなくていいよ。
そこは、たぶん小さくしなくていい。
……そっか。
傷つくのは、それだけ大事にしてきたものがあるから、か。
……うん。
たぶん、そういうことだと思う。