他人を許すことは自分を許すこと~怒りや「べき思考」から解放されて心を軽くする方法~
資料請求番号:DE24
潜在的決めつけ「べき思考」を緩和して柔らかい人になろう
どうしても他人の言動や行動が許せない。例えば
「初対面なのにも関わらずタメ口で馴れ馴れしい」
といったことに遭遇すると、多くの人は
「あぁ、そういう人なのね・・。私(俺)からもタメ口でいいや。」
と適応するのですが、中には
「初対面の人に対しては敬語に決まってる!!どうして敬語が使えないんだ!!信じられない!もうこの人と付き合ってられない!!」
と激怒してしまう人もいます。
このとき、どちらの人の方が物腰が柔らかく、人から好かれそうな傾向にあるかといえば、前者の方ですよね。
このように馴れ馴れしかったり、責任感が欠けていたり、時間が守れなかったりする人を許し、その人の立場に立って考えることにより、まわりまわって自分も救われるような気分になります。
今回は、「他人を許すことは自分を許すこと」をテーマに、少し凝り固まった思考(べき思考)をほぐして人間関係をよりよくしていく考え方についてお話したいと思います。
人はみな似たもの同士
セブンイレブンでPOPもちゃんとあるのに「どうぶつの森一番くじやらせてください」って言ったら、「ウチではやっていません」って言うのよ!?
信じられる!!?この責任感のなさ!思いっきりPOPが出ているのに、「やっていません」とか。めんどくさがりすぎるらぁ?!!
しかもさぁ、ワタシが優しく「そこで宣伝してるでしょ?やり方がわからなかったら先輩に聞いて」って言ったのよ。
それで結局先輩店員と一緒に対応してもらったんだけど、ソイツ、謝りもしなかったのよ!?
もうホント信じられない!!
まぁまぁ、肩のチカラ抜いてな。
なんでそんなに怒ってるんや?
なんでって・・・。店内にPOP出しているにもかかわらず、「ウチではやっていません」って平気でウソをつける無神経さ!
なして、その店員は本来あるべきサービスを「やっていません」言うたと思う?
そりゃあ~一番くじって普通のレジ打ちと比べて少々面倒な業務だから、その面倒くさいことを自分だけ回避したかったんだら??!
せやろか?俺は一番くじの対応の仕方がわからん新人やったと思うんやが・・・。
対応の仕方がわからないとしてもさ~「ありません」って平気でウソつくのはどうなのよ!?
近くにいる先輩店員とかに聞くのが普通だら?
ふぅ~ん・・・。せやったら、オマエが今日からセブンの店員やとする。そして一番くじのことは全く知らん。そしてお客さんが来た。「一番くじやらせてください」と。
どうしたらええかわからん。でも、先輩店員は3~4人並んでる他の買い物客を捌いてとる。
もう一人の先輩店員はどこにおるかわからん。ゴミ捨て場かもしれんし、チルド(ドリンク補充場所)かもしれん。
しかも、一番くじやりたいお客さんの後ろには1~2人おる。どうする?
困るやろ?困るのが普通やと思うたい。
全員忙しい状態で自分は何もできない。どうしたらええのか・・・。
だからといって、本来やるべき業務を「ないもの」として取り扱うのは責任感なさすぎよ!!
せやなぁ。責任感ないなぁ。でも、オマエが新人だったとき、
え~っと・・・部活の新人・バイトの新人・研究室の新人・ミナガミの新人・・・どのタイミングでもええ。人は生きていると何度か「新人」というのを経験するよな。その時、やり方がわからない活動や仕事があったとおもうたい。それ、全部しっかり先輩やリーダー、教授、上司に聞いて解決できてたか?
せやろ?後回しにしたり、その仕事をあたかも「ないもの」として取り扱ってしまったりしたことがあるはずたい。
人間は「わからないこと」に直面するとそれがあたかも「ないもの」として取り扱いたがる傾向にあるたい。俺もそうやし、オマエもそうや、そして「一番くじがない」とウソついた店員もそうや。
そういえば、新人のとき「何で〇〇について考えなかったの!?検討しなかったの!!?」ってよく怒られてた・・・。
それでオマエは自分で自分を責める「ワタシはどうしてこんなにダメなんだ」と。
そこで一番くじの話に戻る。結局な、一番くじがないとウソこいた店員もオマエもその時の心理状態は同じやけん。それにもかかわらず、オマエがソイツを責めるいうことは、同時に自分を責めているのと同じになるということやけん。
オマエに足りてない考え方はな、「人間みんなそんなもんよ~」という考え方たい。
・人間はわからないことは後回しにしがちなもん
・人間はわからないことは、ないものとして扱いたがるもん
・人間は時に内向的で時に馴れ馴れしいもん
・人間はミスをするもん
「みんなそんなもんだよね~」という考え方に則って一番くじの店員を許してしまえば、同時に自分も許すことになる。せやろ?
そっか・・・。ワタシ、人に対してイライラすることも多いし、自分に対してイライラすることも多い・・・。だったら、他人も自分も許してしまおうっていう考え方・・・重要なのかもしれない・・。
「べき思考」は自分も他人も傷つける
オマエは「べき思考」が強すぎると思うたい。
この仕事は自分一人で卒なくこなすべき とか
この仕事は1日で終わらせるべき とか
分からないことは先輩・上司に聞くべき とか
他人に挨拶をするときは笑顔でするべき とか
ほかにも色々、無数に「~すべき」って考え方があると思うけん、どんな?
うん。そうかもしれないわね。それで自分で自分の首を絞めることになって・・・。
せやねん!そういう「べきべき」って考え方は自分の首を絞めることになるけん、
しかもそれを他人に押し付けてないやろか?「コンビニの店員はそのサービスを全て知って、適切な対応をすべき」って思っとるやろ?せやからあんなに怒るたいね?
それで他人も傷つけとるんよ。わかるか?
あの時、オマエの対応でよかったんは感情的に怒るんじゃなしに
「先輩に聞いてね」って言うたことやけん。
そんとき、オマエが別の要因、例えば会社の仕事が忙しいとか電車が遅れたとかそういうことでイライラする要因があったら感情的に怒っとったかもしれんよな。
そこでな「人間はそんなもんよ~」っていう考え方があって「べきべき」っていう考え方が弱かったら我慢する必要もないたいね。
結局、「べきべき」って考え方は自分も他人も幸せにならんたい。
許す心を持って人間関係をよりよく
「べきべき」って考え方の人間は躾の厳しい家庭育ちの人間に多いと思うたい。
オマエの母親、若干毒あるやろ?
あるよ~!!いっつもガミガミガミガミ・・・。しかもこないだ正月にディープルを連れてきたときに「なんであんなナヨナヨした高卒の男なんか連れてくるのよ!」って怒られて・・・。もう大喧嘩。絶対に許さない。
これって、「男は毅然としていて高学歴であるべき」っていうオマエの母親の「べきべき思考」やろ?せやから親子どうしても似てしまうたい。
そうなのよ~!!ホントに・・・。こういう考え方って子どもの間はいいかもしれないけど、大人になったら通用しないのよ。色んな家庭環境で育った人と出会うから・・・。
せやろ?せやからゆる~く育てられた人を見かけてイライラすることがある思うたい。
実際、オマエ、俺に何度もイライラしとるやろ?
そうやって、人間関係の軋轢が生まれていくたい。そのことはもう自分で気づいとるんやろ?
「色んな家庭環境で育った人と出会うから」ということを言うたってことはな。
まぁ、厳しい躾は何も生まんのよな。自分に厳しくなって他人にも厳しくなって、いわゆる「キツい人」になってしまうたい。
ここでオマエが「人間、そんなもんだよなぁ~」と理解して「べきべき」思考を緩和して他人も自分も許せるようになれれば、アダルトチルドレン的連鎖はオマエで終わりやけん。それでええんやない?
そうねぇ~・・。ワタシも本当にそれがいいと思うんだけど・・・。
こういう経験を何度か踏まえてな、感情的になって終わるんじゃなしに、一歩下がって他人の立場に立って考えてみる、そんなことをしてみると、徐々に「べきべき思考」は緩和していくと思うたい。
大丈夫や。比較的ええ加減な俺やファビーとうまくやれとるし、あのとき、一番くじの店員に怒鳴り散らしたりするのを我慢できたんやから。昔の自分やったらどうやった?考えてみたら、少しは成長しとるかな、って思えるんやない?
おまけ
えっとね~。セブン行ったらさ、くじの残り枚数がわかるんだけど・・・わかる?
ああ、なんか、POPの近くにこれまで来たお客さんが引いとったやつを貼り付けよるよな。
うん。それで、残りの枚数が14枚で、B賞とC賞が余ってたから、
「残り全部ください」
って言ったのよ。
残りを全部買い占めたら620×14で8,680円。B賞とC賞そしてラストワン賞への投資としては妥当だと思って残りを買い占めたのよ。
そういうことか・・・(セブンイレブンの店員も大変やなぁ・・・)。