資料請求番号:DE31
皆さんは「アダルト・チルドレン」という言葉を聞いたことがありますか?
アダルト・チルドレンってなんか名前からして子供っぽい大人とか精神的に大人になれなかった人のような感じがするんやけど・・・違うん?
違う。全然違う。
この記事では、「アダルト・チルドレン」について説明し、なんとも言えない生きづらさを抱えている人の手助け、および接し方が難しい上司や部下を抱えている人の手助けになるような記事を発信したいと思います。
アダルト・チルドレン(Adult Children、以下ACと省略します。)とは「機能不全家族で育ち成人した人」のことを言います。
家族の機能とは
・子どもが心と体をリラックスして休ませることができる環境を提供する
・家族にありのままの自分を認められ、支えられること
・人間としての基本的な事項(挨拶、思いやり、道徳心)などを身に着けさせること
などが挙げられます。
機能不全家族とはこれらの機能が不全であること、不十分である家族を指します。
〇心と体をリラックスして休ませる環境提供が不全
・よく怒りが爆発する家庭
・両親の仲が悪かったり喧嘩や暴力の多い家庭
〇子どものありのままの姿を認め、支える機能が不全
・あれこれ何をしても非難される家庭
・体裁とか他人の目を非常に気にする家庭
・ブランドの学校だけが重視される家庭
〇人間としての基本的な事項を教育する機能が不全
・冷たい愛のない家庭
・親がいつも留守にしている家庭
私もアダルト・チルドレン当事者です。私の家庭では特に暴力がひどく、骨折したこともありました。
アダルト・チルドレンっつーのは、アダルト・チルドレン・オブ・アルコホリックの略称たい。アルコール依存症で家庭が崩壊しているところの子どもって意味。
ちゅーとハンパなところで略すからさっき見たいな誤解が生まれると思うたいね。
家庭が崩壊してりゃ、心と体をリラックスさせる余裕もないし、人としての基本的な礼儀作法も教えられないよな。
子どもは生まれてくる家庭を選択することはできません。上記に記したような機能不全家族に生まれた時点で、その子どもは以下のような苦労をしながら大人になっていきます
〇自分の感情や問題をオープンにしてはいけない
オープンにするとすぐに怒鳴られ時には暴力を振るわれ、否定されてしまうため
〇自分らしくあってはいけない
親が体裁を重んじるため子ども自身よりも周囲の目を大切にしてしまう
〇常に完全でなくてはならない
子どもよりも他人の目が大切なので、何か失敗してしまうと子どもを酷く責め、周囲から
「〇〇さんの家庭の子どもは立派」と呼ばれるレベルになるまで延々と勉強なり習い事の練習なりをさせられる
こんーなところに身を置かれたら気が狂って自殺しちまうよ。あるいは、2008年の秋葉原の連続殺傷事件みたいな猟奇的な人間になっちまう。
よく耐えて大人になったなぁ~ディープルは
うん・・・でも生きた心地しなかったよ・・・。
〇自分の感情を表現するのが下手で、すぐに緊張して言葉が出なくなったり、パニックになったりする
自分の感情を表現するのを禁止されていたため、感情表現する能力が育っていない。
〇誰かに頼みたいことや断りたいことがあってもうまく伝えられない(NOと言えない)
誰かに甘えることができなかったため、甘え方を知らない。NOと言ったらすぐにパンチが飛んでくるので、NOの言い方を知らない。
〇極めて傷つきやすく、繊細
暴力の多い家庭で育ったため、少しでも怒られたり、怒られることがなくても「自分は嫌われている」と感じたら、またボコボコに殴られるような気がして過去のトラウマを思い出してしまう。
〇人生は辛いものであるという固定概念がある
子ども時代から辛い経験をしてきたため、「人生=苦」の方程式が成り立ってしまい、それを覆すことができない
〇人を愛することができない
子どもは愛されることで育っていくはずなのに、愛を受けることができなかったため、人の愛し方を知らない。
〇自己肯定感が極めて低い
あれこれ何をしても非難されてきたので「自分は生きる意味がない」と信じて疑わない。
ACはうつ病や統合失調症のような病気ではありません。ACの定義を再確認すると「機能不全家族で育った大人」です。ACというのは自分がなんともいえない生きづらさ(異常なまでの完璧主義、周囲の人間が怖い、感情をうまく表現できない、あがり症、頑固)に直面し、自己分析を行ったときに行き着く「指標」です。
「自分はこういう問題のある家庭で育ったから生きづらいのだ」と自覚することによって「自分がダメな人間だから生きづらい」という自己肯定感を下げる結果になるのを防ぎます。また、自分の生きづらさの理由を知る手助けにもなります。
AC当事者は大人になっても生きるのが辛いんだよ・・・。自己肯定感がないから、ってか貰えなかったからね。
ACであることの原因はわかりました。次は今後の方針なのですが、親を恨んでも仕方ありません。裁判を起こしても疲弊するだけです。
ACだからといって社会的援助を受けることもできません。残念ながら、ACである私たちは「世の中は不公平だ」ということを受け入れるしかないのです。
ただし、大人になった以上、親からの呪縛から逃れることができました。今までは親なしでは生きることができなかった。親の機嫌を保つことが生き残る術だったわけですが、今はそのようなサバイバルをする必要はないのです。ACである私たちが今後どう生きればいいか考えてみました。
〇親に感謝しなくていい
世間一般では「父の日」や「母の日」があったり、初給料で温泉旅行へ連れて行ったりと親孝行をすることが美徳とされていますが、親孝行というのは「機能した家族で育ててくれた恩返し」なのです。私たちACは機能不全家族で育ったわけですからそのような恩返しは不要です。
子どもの頃は再三「誰のおかげでメシを食えていると思っているんだ!!」と何度も怒鳴られた経験があるでしょう。こうやって親への感謝を強制されてきたのです。しかし、大人になれば親の援助は不要です。子どもの頃は暴力を受けることで親のストレス解消に「使われた」のですから、私たちも親を「使い捨てればよい」のです。何も感謝することなくただ死ぬを待ちましょう。
〇クッションワードを使って話す
子どものころ、親からドストレートに「死ね」とか「お前なんかいらない」とか人格否定をされたものですから、それが身についてしまい、対人関係で苦労しているのもACの特徴です。
でも、僕たちはACであることに気づけたんだから、ドストレートに人格否定をされるのは辛いことってのはわかってるんだよね。
人の痛みがわかっているって言うのは一つの長所なのかもしれないね。
これから人と接するときは「少し嫌なことを言うようだけど・・・」「あなたを非難するつもりはないんだけど・・・」とクッションワードを使い、自分の本音を穏やかに控えめに言えば気持ちが伝わるようになります。
〇趣味を持つ
なんでもかんでも親の言う通りにしてきた私たちは私たちが「心から好きなこと=趣味」に接する機会というのが少ないです。しかし、趣味というのは、心を健康にするために必要です。自分が心から好きと思えるようなことを見つけ出してやってみましょう。このテーマに関する私の解は「写真」です。よかったら私の写真のページも覗いてみてください。
〇手抜きで生きる
子どものころは完璧を求められたと思います。なぜなら完璧じゃないと体裁が悪いから。しかし、なんでもかんでも完璧にしようとするというのは疲れてしまいます。私たちACは少し手抜きをしたくらいがちょうど良いのです。
凄い仕事を頑張っても、実はあんまり大したことありませんでした~なんてこと、よくあるよね?
だったら、手抜きでやってみればいいんじゃないかなぁ?ACから見たときの手抜きって普通の人と大体同じだからちょうどいいかも(笑)
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心理的虐待しか受けて無いので共感して良いものか解りませんが、読み易く解り易い書き方で頷けるところばかりでした。筆者様や本当のACの方たちと私を同じだと思うのは甚だ可笑しいことなのでしょうが、自分と似た思考でやはり生きづらいと感じている人が居ると知れて少し安心しました。これを書いてくださりありがとうございました。