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心の問題

弟子(部下、子ども)への上手な叱り方と下手な叱り方

投稿日:2017年3月25日 更新日:

叱り方で部下がついてくるかが決まる

私のこれまでの人生を振り返ってみて思うことがあります。

科学が楽しいと思うのは科学の師匠(最初に出会った教授)の叱り方が上手だったから
社会人が辛いと思うのは社会人の師匠(最初に出会った上司)の叱り方が下手だったから
人生が辛いと思うのは人生の師匠(親)の叱り方が下手だったから

科学を極めるのも社会人として生きていくことも楽しさ2割、辛さ8割だと思います。辛いばかりの中にほんの少しの楽しさがある。きっとどんな人生を選択しても(医者として生きるにしても、パイロットとして生きるにしても、俳優として生きるにしても)このことは変わらないものだと思います。

その中でも人は「こんな生き方をしたいあんな生き方をしたい」と考えたり、最悪の場合は「死にたい」と考えたりするのには「師匠」の影響が強いものと考えています。

上手な叱り方をされた弟子から見れば

あの師匠についていきたい、あの師匠みたいになりたい

と考えるようになり下手な叱り方をされた弟子から見れば

あの師匠から離れたい、この世界はこんなにも辛いものなんだ。

と考えるようになります。師匠から見れば前者の思考を持った弟子はかわいいものですし、後者の思考をもった弟子はかわいくありません。

叱り方によってかわいい弟子なのか生意気な弟子なのかが変わってくるのです。
つまり、叱り方を工夫さえすれば良好な師弟関係が得られ、師匠・弟子ともども幸せになっていきます。

今回は「上手な叱り方」「下手な叱り方」について私の考えをつづっていきたいと思います。

叱ることの目的

まず、叱ることの目的について考えてみたいと思います。

そもそも目的も考えないで頭ごなしにあれこれ言うヤツが多すぎるから、まず、目的を考えてみようぜ。
部下や弟子、子どもに厳しく接することによって人間関係に亀裂が入るかもしれない。そのリスクを背負ったうえで叱るということを考えているか?
そのリスクを背負ってまで下の者に軌道修正させなくちゃいけないから、叱るんだよな?

人が成長するうえで大切なことは「自分の誤りを認識し、正しい方向を学んで、修正すること」を繰り返すことであり、叱ることの目的は「誤りを認識させ、正しい方向を教示すること」だと思います。

よく私の親は「成長するのに辛い思いをしてナンボ。人は叩かれて成長する」といいますが、私はそれに根っこから反対します。

「誤りの認識→修正」のサイクルを回すことさえできれば、辛い思いをしないに越したことはないのです。

ましてや叩かれたり殴られたりする必要はないのです。しかも怒鳴ったり、叩いたりするだけでは正しい方向を教示したことにはなりません。

上手な叱り方とは?

叱り方の上手下手は叱ることの目的に沿っているかどうかで決まります。

叱り方が上手な師匠は弟子の誤りを正確に認識、分析し、論理的に叱ることのできる人だと思います。

師匠の話には筋が通っていますから弟子は「叱られた」というよりは「教えてもらった」という感覚になります。
「叱られた」と感じさせないまま、弟子を正しい方向へ導くことができるのです。
このとき、師匠と弟子のお互いに「感情」というものは存在しません。師匠と弟子のやり取りは、

「弟子の誤りに関する問題点と問題を修正するにはどうしたらいいか?問題の修正の仕方はどうしたらいいのか?なぜその修正の方法をとるのか?」

といった極めて論理的なやり取りになるのです。弟子にとってみれば、講義や授業を受けているのと同じような感覚になります。

精神的に辛いことなど何もありません。
しかし、「自分の誤りを認識し、正しい方向を学んで、修正すること」の目的は達成できていますので、弟子はどんどん成長していきます。

弟子が自分自身で成長を感じることが出来れば、その世界で生きることに対して「楽しい」といった感情を持つことが出来るようになります。
私の大学時代の教授がそんな感じの叱り方でした。だからこそ科学(当時の専門である流体力学、移動現象論)が楽しいと思えますし、精神的に辛い思いをすることなく成果を挙げることができました。

正しい道を教えてあげる、案内する。そんな感じの叱り方は上手だよな。あと、散々いうこと言った後、最後に
「自分もかつてはそうだったから」
って言われたら例え少し厳しい言い方だったとしても救われるよな。

そうそう。悪いのは自分だけじゃないんだ。多くの人がこの壁にぶつかってきたんだ。
よし、自分も頑張ろう!・・・っていう気持ちになれるよね。

下手な叱り方とは?

下手な叱り方は「誤りを認識させ、正しい方向を教示すること」が叱ることの目的なのに、

誤りを認識させて終わる叱り方です。

「お前は○○がダメだ。お前はバカだから仕方ない」と言われても、弟子にとってみれば何をどうすればいいのか全くわかりません。
そしてまた同じミスを犯します。ミスを繰り返すにつれだんだんと人格否定が入ってきます。
最終的には「この穀潰しめ」とまで言われました。
私にとって初めての上司がそんな感じでしたから私は「社会人ってこんなに辛いものなの?」という疑問を常に持っていました。

さらに怒鳴ったり、叩いたりする「感情」の入る叱り方は最悪です。辛い思いをするだけで何も学ぶことができません。単なる師匠のストレス解消に使われているだけになっています。

私の人生の師匠である「親」がそれに当たります。科学の世界が嫌だ、社会人の世界が嫌だという考えだったらまだなんとか生き延びることが出来ますが
人生が嫌だという考えになったら救うことができません。それだけ「親の叱り方」には責任があると思っています。

叱ることとストレス発散が一緒になってしまってる奴。最悪だ~。
こう人の周りには誰も寄ってこないんだよな~。

寄ってこられたとしても形だけだったりして・・・。

まぁ~そうだよな~。それで勘違いしちゃってさらに傲慢になっていく。
自分が正しいってのが前面アピールされちゃってるから、叱れば偉い。クビ討ち取ったり~って感じなんでしょうね。

ある程度、その上司から離れるとそんな感じに分析できるけど、いざその上司を目の前にしちゃうと、
やっぱり自分はダメなんだ・・・ってなっちゃうよね。

ディープル。そういう状態ってのはな、裁判においてよく使われる文書で「会社起因で正常な判断が失われた状態」って言うんだよ。

それで自殺とかしちゃったりしたら、取り返しがつかないよね・・・。

まぁ、実際そういう裁判例はあるしな。

まとめ

上手な叱り方は良好な師弟関係を作り、双方とも幸せになることが出来ます。

叱ることの目的は

「誤りを認識させ、正しい方向を教示すること」

にあります。これさえできれば弟子は成長することができます。

この目的通りに叱ることのできる師匠に人はついていきます。この目的をはき違えて叱ることと人格否定を一緒にしたり、叱るの名目でストレス解消している師匠に人はついてきません。

「成長するのに辛い思いをしてナンボ。人は叩かれて成長する」という精神論を唱える人を私は軽蔑します。人は考えることのできる生き物です。感情だけで叱るのではなく、しっかり考えて叱ることが出来る師匠を私は尊敬します。

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